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:: Bitz'ed Go Online ::   -   08.16.2003

The First Day   -   08.17.2003

The Second Day - Firenze   -   08.23.2003

The Third Day - ByeBye Firenze (1) - Firenze   -   09.01.2003

The Third Day - ByeBye Firenze (2) - Milan   -   09.23.2003

The Best Day - Venezia - Milan   -   09.24.2003




:: Bitz'ed Go Online ::

あぁ、ここはメインコンテンツなんですが、明日からイタリアへ観光旅行でして更新できません。帰ってから旅行の写真と合わせて更新しまっす!!

...というわけで、帰宅しましたー。ただいまぁ。まだ時差ボケです。飛行時間12時間、時差は7時間。例えば日本で朝ご飯を食べてるとき、イタリアではそろそろ寝ようかな、という時間。向こうで晩飯でも食うか、という頃日本は丑三つ時を過ぎた頃(イタリアの夏は日が長く、夕食は早くて8時頃に始まる)。

だからまだ体が言うことを聞かない。海外旅行ほとんど初めてやしね。朝飯食えねー、などといいながら寝たり起きたり。写真はフィルムの分が20日に上がるらしいので、それまでは「へちょデジカメ(30万画素)」の画像を御覧下さい。ちなみに余りに「へちょい」ため、シートベルトをしっかりと締め、お近くの手すりやつり革を握って御覧下さい。(フヒヒ)

   -   08.16.2003




The First Day

8月7日(木)13:00、成田発Alitalia航空AZ7789便(JAL仕様B747型)は時間を30分ほど遅れて離陸した。NARITAB747は狭くて辛い、という話を聞くが、いや本当に狭くて。AZ7789エコノミー症候群になる前に、腰から血が出るんじゃないかと思えるほど痛かった。長時間のフライトは初めてだったこともあってかなりヘコむ。

日本上空を横切った後、日本海を横断してシベリアを飛ぶ。外気温度は摂マイナス50度前後、窓に氷が張り付いている。シベリアは大部分が分厚い低層雲に覆われていて、見えない。8時間ほどたって、ようやくロシアの大地が垣間見えたころ遅い昼食のようなものが配られる。食えたもんじゃない。と言いつつ、無言で全部平らげた。

12時間を少し超えた辺りで、やっとローマのフィウミチーノ空港に到着。18:00を過ぎているのにまだ明るい。少し雲が出ていた。喉が渇いて空港内の売店で"GreenTea"という代物を見つけ、買ってみた。パッケージは見た感じ、台所洗剤の入れ物そっくり。飲んでみると、うげっ!!やたらと甘〜い。

そんなこんなで、楽しい旅が始まるのだが、最初の目的地はフィレンツェ。この空港からさらに乗り継いで、フィレンツェ空港に向かうことになっている。ローマで飛行機を待っていると急に夕立ちが降り出した。イタリアで雨に降られたのはこの一瞬だけだった。ちょうど雨がやんだ頃に搭乗開始になり、飛行機に向かう。このときは久々のプロペラ機だった。飛行時間約1時間。しかし眠い。日本では既に日付けが変わっている。でも今寝たら夜寝れなくなるかなぁ、などと考えていたらフィレンツェが見えてきた。漆黒の闇の中に、煌煌とオレンジの光の渦が見えてきた。イタリアの町はオレンジの屋根と、オレンジの街灯がよく映える。このときは写真が撮れなかったが、地上ではこんな感じだ。firenze_nightそれから昼間にドゥオモの上から撮影した写真がある。firenze_daytime見るとほとんど全ての屋根がオレンジである。さて、フィレンツェ空港からはホテルまでタクシーに乗らなければいけない。それがまた大変で。

   -   08.17.2003




The Second Day - Firenze

さんざん待たされてやっとスーツケースを取り戻すと、空港の外に出た。現地時間午後10時を回っていて、外はかなり暗い。ちなみに日本時間では午前5時。徹夜明けですな。ふあふあ〜っとスーツケースを引きずっていると、馬面だが結構力ありそうな兄ちゃんが「タキシー?」と声かけてきた。とりあえずいくらか聞いてみたが、ちゃんとしたタクシーで白タクではなかった。最初の宿泊先であるホテル「REX」(三ツ星)まで「まあ20から25ユーロくらいでしょ」と言い、スーツケースをふんだくると軽々と車に載せ出発。歌うたいながら颯爽と走って、路地少し入ったところで満足げに「ホテルレックス。」と一言、結局10ユーロちょっとだった。チップ入れて多めに「はいっ」と出したら「サンキュ」と足取り軽やかに帰っていった。ホテルは右にあるようなとこでした(翌朝撮影)。REX

イタリアの夏は日本と違い、サウナのようにまとわりつくジトっとした熱気はないものの、街路がすべて石畳なので太陽の反射がきつく、ちょうど七輪で焼かれている焼き鳥みたいな気になってくる。

ホテルはハッキリ言っていまいち。自分では星二つ半。窓はあれど外は見えない。ベッド小さい。部屋狭い。蛍光灯なのに照明暗い。最初は「海の家ですかっ!!」とか思ったが、掃除は行き届いていて、なかなか清潔。外の見える部屋に変えてもらってからは結構良かった。

何はともあれ初日の夜は部屋に入って横になるとすぐ、睡魔の急襲を受け、ダウン。次の日。起きると朝食。パンとシリアル、ヨーグルトと果物が置いてある。ありもので適当にやってくれモード。一度飲み物のお伺いがやってくる。コーヒーを頼むと、やっぱりおいしいんですね。渋みがなくて、好きです。香ばしい香りってこういうことだったんですか。最高。他ですか?パンかたい。果物酸っぱい。以上。露天そのあと午前中は、ホテルの前からマーケットまで露天が続いているので付近を散歩。メディチ家の教会を見てみる。Capelle Medicee美しい天井画のある荘厳なドームです。同じ場所に礼拝堂があり、こちらにはミケランジェロが彫ったメディチ家の墓標が。全景詳しくはこちらの一番下こちらで。

午後はフィレンツェツアー(英語)に参加。学生32ユーロ、一般35ユーロ。午後から5時間、盛りだくさん。フィエソレの丘丘からの眺め(40分)からドゥオモ(1.5時間)、ウフィッツィ美術館(3時間)。午前中動かなきゃ良かったか...。暑くなければ最高のツアーです。ツアーは駅のSITAバスターミナル近くのツアーカウンターで購入できます。3日めはドゥオモの屋根に上ります。スゴイんだこれが。

   -   08.23.2003



The Third Day - ByeBye Firenze (1)

一晩明けて翌朝8時半。昨日はあまりの行列に諦めたドゥオモへ早めに歩いていきました。ドゥオモが見えるホテルから歩いて10分もかからないようなところで、考えてみたらいい場所に泊まったな、と思う。尖塔部分着くと、今朝はまだ人が少ない。数えてみると、ちょうど10人しか並んでいなかった。しかも日本人が多い。というかほとんど日本人。これはもう、国民性としか言えませんな。朝早くから勤勉。ご苦労様です。(自分もそうだが)昨日内部は覗いたので、今日は屋根の上に登ります。雑誌にも書いてあると思いますが、結構山登りですので慣れていない人にはなかなか大変かもしれません。(右は父撮影)

覗き窓入館料は5ユーロで、急勾配の狭い階段をどんどん登っていきます。天井画途中には聖堂を俯瞰し、天井画がよく見られる場所や外の景色が見えるのぞき窓があります。天井画の美しさには息をのみました。美しい。フィレンツェに行って、体力にある程度自身があればここは必見です。景色

ドゥオモから帰る途中で絵を買いました。スカルニッチ(Andrea Scarnicci)という画家さんです。他の風景画と違って、筆のタッチが単純で鮮やか、こまごまとした部分は描かず簡略化されています。それに心を惹かれました。一枚30ユーロのところ、二枚買って50ユーロにおまけして頂きました。スカルニッチさん

   -   09.01.2003



The Third Day - ByeBye Firenze (2)

ドゥオモの天辺から15分ぐらいかかって降りてくると、しばらく足が笑っていました。結構朝っぱらから体力を消耗してしまったので、この日はベッキオ橋を見に行ったり、露店を巡りながらジェラートを食べたりして時間を潰しました。お昼は近所のバールで、夜はトラットリアで食事。トスカーナ料理を堪能しました。たとえばモツのトマト煮込み(トリッパ)とか、Tボーンステーキなど。パンふと思ったんだけれども、イタリアのパンは堅い。堅くてぼそぼそしている。かすかな甘みはあるんだけれども、基本的にはバターつけてそれだけで食べるというよりは、料理のソースをつけるために存在しているって感じが。ちなみに残したパンは別のテーブルに移動します。

駅からEUROSTARに乗ってミラノへ。チケットチケットは飛行機のものと同じ大きさで、イタリア語で書いてある(当たり前だ)。英語も書いていないので、なんだかちっとも分からなかったが、ガイドブックに見方が書いてあったのでそれを頭に叩き込んでおきました。チケットの両端に矢印が付いていて、乗車前に自動刻印機で日付を記入しなければならないらしい。なんだかややこしいが、これをしないと観光客でも罰金を払わされるらしいので最初はドキドキものだった。EUROSTARミラノまで約3時間。駅からタクシーを乗り継ぎ、ホテルセルボに着いた頃には12時を回っていました。

このホテルはなかなかいいホテル。広いし、驚くほど清潔。冷蔵庫の中で、誰が飲んだか分からない怪しげな赤い瓶が転がってるなんてことももちろん無い。どこぞのホテルではそれに驚かされたが。朝食も同じビュッフェスタイルだけれども、選ぶものがいくつかある。驚くほど大きな窓の外にはミラノの街路が広がっている。cervo僕的には星3つ半。フィレンツェで泊まったホテルレックスと同じグループなのにこうも違うものか。「インターネットポイント」もあるとのこと、興味が出てきたので早速階段を駆け降りてフロントに質問してみた。するとお兄さん。このコンピュータでは駄目か、とフロントにあるコンパックのPCを指差した。「えっ」と思ったが、どうも夏は「インターネットポイント」がオープンしていないらしい。メールの確認ぐらいならこれを使ってくれというコトらしい。

ミラノは8月でも30度まで上がることは少ないといわれていたのだが、この夏は毎日40度を軽く超える記録的な猛暑で、街にも人通りが少ない。milanこの日はドゥオモすぐ横のエマヌエーレ2世のガレリアへお散歩、ここ数年で結構コギレイになったようで、現在はガレリア全体を覆い尽くす保護プロジェクトが動き始めているようです。昔のままのガレリアを見たい人は最後のチャンス。明日はベネチアです。

   -   09.03.2003



The Best Day - Venezia

本当に暑い夏だった。ヨーロッパ各地を異常な熱波が襲い、ベネチアでも日中の最高気温は40度を優に超えていた(勿論、平年は夏でも20度余と比較的過ごしやすい)。ベネチアだが、私が最初に驚いたのは、その暑さにも関わらずこの街が活気に溢れていたことだった。

ベネチアの美しさは路地裏に潜んでいる、と言われる。1つ角を曲がる度にその幻想的な光景に引き込まれていくのである。私自身、細い路地の魔力に誘われるまま歩いているうち道に迷ってしまったのだが、迷い込んでいくこと自体が快く感じられるような、不思議な感覚に溺れていったことを今でも覚えている。

気付いたら待ち合わせの時間をとうに過ぎてしまっていた。ベネチアの町この時残していたフィルム6本をなくしてしまったのが心残りだった。ベネチアの写真は一部公開。残りは写真集として別口でアップしました。壁紙としてもDL可能です。詳しくはこちらのページへ。

さて、夕の特急でミラノへ戻り、最終日の8月12日は予約していた有名な「サンタ・マリア・デッレ・グラッツィエ教会」へ向かった。日本のウェブサイトでもいくつか旅行記が載せられている場所だが、平日で観光客が少ないことや暑さのせいでスリどころか教会周辺は人っ子一人いなかった。物売りも品物を並べたままカフェへ行ってしまうし。笑

並木道駅から教会までは石造りの重厚な建物が続く並木道になっており、ミラノでも特に美しい通りだった。実際周辺には高級住宅地もあるらしくハイソの気配プンプンである(写真に写ったランニングのオッサンを除いて)。途中のアイスクリーム屋さん、小さいけどオシャレだった。(ごめん、写真撮りませんでした)

結局説明によるとこのグラッツィエ教会、壁画のあった修道院(旧食堂?)はほとんどの壁が倒壊後再建されたもので、残っているのは前後の大壁画部分のみだという。教会中庭実際ほかの部分はピカピカの真っ白。「最後の晩餐」「キリストの処刑」とも修復は完了しており、監視員2人以外は15人の客(温湿度調節のため、1度に15人までの入館コントロール)のみ。だだっ広く感じる。個人的にはキリストの処刑の絵が印象深かった。同時に処刑された二人の罪人、それを槍で突く兵士、祈る人、うろたえる人、それぞれの表情が真に迫っていてショッキングだった。とりあえず、グラッツィエ関係のリンクをまとめ。

  • 世界遺産を訪ねる旅
  • 最後の晩餐を見に行く
  • こもりんご通信/世界遺産
  • 観光文化面白研究所
  • 今回でイタリア旅行記は終了としますが、写真その他はまだまだ継続的にアップしていきますのでちょくちょく見にきて下さい。

       -   09.24.2003
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